医学の歴史 (第4回)


「防腐法」への苦闘  細菌感染と闘った外科医師
               ジョセフ・リスター(1827ー1921)


 
ジョセフ・リスターとアグネスの
   結婚記念写真(1856年)

1846年にウィリアム・トマス・グリーン・モートンが、マサチューセッツ総合病院でエーテルの公開実験を行って以後、外科麻酔が存在し始めて、多くの外科手術が行われた。しかし困難は次々と襲いかかる。手術後の傷口が感染症をおこし、多くの命が奪われてゆく。
 ゼンメルワイスが死亡したその時に1人の男が、この問題を解決する仕事に取りかかった。そしてこの男に手術感染に対する決定的な名声を勝ち取る運命が待っていた。彼の名は、グラスゴー大学の外科教授「ジョセフ・リスター」その人であった。
 病院特有の膿の臭いを「手術室のいい香り」と考えていたかどうかは分からないが、少なくとも「化膿から敗血症や壊疽、丹毒(注)に悪化しなければ」治癒するものだと、ある意味で通らなければならない臭いと考えられていた。空気が悪性の化膿の原因とさえ考えられていたのです。
インドのゴムや金箔を使って傷を空気から守ろうとした。フランスでは切断された部分を特別にデザインされたゴムのキャップで覆うという方法を採った。空気を出すために真空ポンプが使われた。綿で栓をする方法も試された。それは傷の上に綿をかぶせ、外側の包帯を替えるときも空気が入らないように、何週間もそのままにしておいた。しかし、この汚れた綿は血と膿にまみれ、その臭いは耐え難いものとなった。

時代の背景

1821年、イギリス国王ジョージ四世は、頭に出来た醜い嚢胞を切除する決心をしたとき、この簡単な手術が実は命がけだと言うことを余りよく考えてなかった。当時国王が決心したような外科的処置は、現在の心臓の手術・開心術よりもかなり高い死亡率が伴っていた。最大の死亡原因は手術後の感染だった。治療のためにメスを取り上げるたびに、どの外科医もそれに悩まされ、非常に恐れた。国王が選んだ外科医:アストレー・クーパーは、君主の頭を切開すると考えただけで震え上がった。「そんなことは絶対引き受けたくはなかった。この手術で丹毒が発生したら、それで私の人生は、台無しになり、幸福は失われるのだ」彼は、こう書き記している。幸いにも感染はおきず、彼は、国王から感謝の意を表され「ナイト」の爵位を授けられた。(参照:医学をきずいた人びと。河出書房新社)

病院を焼き払おう 
 多くの科学者は患者が増加する一方の病院が伝染病の巣窟になっているという事実に論拠をおいて解決策は一つしかないと言ってきました。   つまり、現存する病院を破壊すると言うことです。疑いもなく郊外の個人の家で行われた手術の方が、大きな病院よりもはるかに手術上の疾患=合併症が生じることが少ないことが分かっていたのです。
微生物こそが感染の原因
 リスターの玄関の一部は新しかった。幅広い階段を上がり、大きなドアを開けた。「広い間隔のあけられたベッド・大きな窓のある、そしてあの臭いのない部屋」があった。感染は空気のせいでなく、微生物が原因であると、リスターは確信し始めていたのです。その科学的根拠は、「腐敗に関する考察」において「ルイ・パスツール」が、問題提起を行っていました。(次回)

(注)丹毒は、連鎖球菌と言う細菌感染による急激な炎症であることが分かっていますが、当時はそんな知識はなく「この疾患については、真っ赤な炎症が患者の切られた組織に急激に広がり、しばしば死に至る」としか分かっていなかったのです。
 現代医学でも、薬剤耐性ぶどう球菌・セラチア菌・結核菌・肝炎ウィルスなどの院内感染が社会的な問題となっています。色々な要素が絡み合っているのですが、リスターの「広い間隔のあけられたベッド・大きな窓のある部屋」は、現代も通用する重大な感染予防の原則でもあります。


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