医学の歴史 (第5回)


「自然そのものを助言者とすべし」
ウィリアム・ハーヴェイ(1578-1657)我々にとって「血液は循環する」ことは、自明の理であるが、17世紀の人々にとっては、文字通りコペルニクス的な発想の転回であった。それだけに、ハーヴェイは、もどかしいほどに慎重に、身に危険の及ぶことを恐れながら、そればかりか、全人類を敵に回すことを恐れながら自説を述べたのであった。
「動物の心臓ならびに血液の運動」の扉絵

1603年、ハーヴェイの師、アクァペンデンテは、図のように静脈の流れと静脈弁の存在を明らかにした。しかし、そのアクァペンデンテをして神と自然のみが知るとして心臓の問題には、触れることはなかった。実は何人かの学者は、心臓と肺との間の血流、すなわち小循環の真の機能を理解していた。スペイン人医師、セルヴェトウスは、「キリスト教の再建」という論文で小循環について正しい説明をしていたが、協会によって異端とされ、火刑に処せられ、彼の著者は、彼の生涯と共に火中に消えた。

血液循環を発見したウィリアム・ハーヴェイ

彼の著書「動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究」が、彼の言葉を借りれば、非常に新しいかつ前代未聞の、血流の量とその源泉についての説。つまり、血液循環説の最初の発表の場であった。暖められた、完全な湿った、生気に満ちた、そして養価の高い血液が循行することによって、身体各部は養われる。そこが十分に暖められ、かつ生気づけられると、やがて身体各部の血液は逆に冷たくなり、濃縮され、生気がなくなる。それが元通りに完全に服するために血液は、再びその源泉である心臓、いわばその泉であり、すなわち身体の神棚であるところに帰ってくることは間違いのないことであろう。そこで再び血液は、自然の力強い、火のような、生命の宝である熱によって、新たに流動性を得て、生気を持ち、いわば香油で満たされて、再びここから身体各部へ配分される。この血液の運動のすべてが心臓の拍動によってなされる。アリストテレスが唱えた気象の循環運動を基礎概念としている。

心臓の鼓動が早すぎて十分な観察が出来なかったが、ハーヴェイは、犬や豚も瀕死の状態では心臓の動きが遅くなるから、観察しやすく仕組みを見るのに適している。実験の積み重ねによって、ハーヴェイは、心臓が力強い収縮によって内部の血液を大動脈に送り出すことを確信した。収縮するとき、心臓は急激に前方に動いて先端が胸壁を打ち、同時に動脈の膨張が全身に広がる。こうして、血管の脈拍は心臓の鼓動に同調し、それによって引き起こされる。このいつでも確認できる発見は、静脈が血管壁の自立的な拡張運動によってそれ自体で間欠的に膨張するという旧来の学説を覆した。血液は、心室の拍動によって肺と心臓を通過し、そこで肉の中の小孔を通過して静脈に入り、そこを通って全身の末端部から中心へ、静脈の太い部分へと戻ってゆく。最後に大静脈から右心室に至る。これに関わる量は大量であり、動脈を流出する量も、静脈を戻ってくる量も膨大である。血液は、摂取した血液から直接造られると信じられていた。動物での一回の心拍出量×脈拍数から血流量を求めると、実際の血液量より多くなる。またそれは、栄養補給に要する量よりも遙かに多い。

60×72×60=一時間の血液量
すなわち、動物の体内の血液は絶えず円環を描いて循環しており、心臓の活動ないし機能はこれをポンプ運動によって遂行することである。心臓が鼓動の間に緊張をゆるめている間に、血液は末端から心臓に流入する。それらは、二つの大きな静脈(大静脈)を経て心臓の右側に入り、左側には肺からの大きな静脈(肺静脈)を経て入ってくる。血液が心房を満たして心室に溢れると心房は収縮し始め、「心臓の眠気を覚ます」。心房の収縮に続いてすぐ心室が同様に収縮し、右心室から血液を肺に送り出し、同時に左心室から末端部に向かう大動脈に送り出す。要するに、心臓の統一的動きは心房と心室の連続的な収縮であり、血液が大動脈に送り出されると脈拍の波が生じる。つまり「身体のすべての動脈が息を吹き込まれた手袋のように反応する」のである。ハーヴェイの生理学の弱点 末端の細い動脈から細い静脈に流入する経路を正確に説明できなかった。彼の「小孔」は、1660年に顕微鏡により、毛細血管の存在を発見し、その5年後赤血球の存在を証明した、マルピーギによって証明されたのである。いうまでもなく、この赤血球は高速鉄道のように酸素を体内の細胞に運ぶのである。


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